平成25年(2013年)御法座のご案内

2012年12月21日 15:58

春彼岸法要

 3月19日(火)より3月21日(木)迄

 讃仏講師 元鎮西敬愛高校校長

  香川 孝志先生

 

―香川先生のことば―

 お釈迦様が祇園精舎にあって、大勢のお弟子(1250人)に極楽の荘厳説き、阿弥陀仏の御徳をたたえ、念仏による極楽往生をすすめられる。

仏説阿弥陀経には「微風吹動(みふうすいどう)」「諸寶行樹(しょほうごうじゅ)及寶羅網(きゅうほうらもう)」「出微妙音(すいみみょうおん)」「譬如百千種楽(ひにょひゃくせんじゅがく)」「同時倶作(どうじくさ)」「聞是音者(もんぜおんしゃ)」「皆自然生(かいじねんしょう)」「念仏念法(ねんぶつねんぽう)」「念僧至心(ねんそうししん)」とあります。

 その意味は絶えず妙なる風が吹いていて寶で飾られた木が揺れ動き、寶でできた天蓋もゆれて、何とも言えない妙なる微妙な音がでる。その音色はまるで何百何千の楽器が一斉に奏でられるようにすばらしく、その音を聞いた人は心の中に念仏念法念僧(仏様のことを想う、仏法の正しい教えを想う、仏を信じる仲間のことを想う)の気持ちが自然とわいてくるという。                            法活より抜粋

 

永代経法要

 5月21日(火)より5月23日(木)迄

 讃仏講師 慈照寺住職(神戸)

  藤田 眞哲先生

 

お盆法要

 8月3日(土)より8月5日(月)迄

 讃仏講師 浄願寺前住職(愛知)

  結城 道哉先生

 

―結城先生のことば―

 私は五人兄弟の五番目、末っ子である。私の一人息子も二十歳となって僧侶となった。喜んでくれるはずの母も八年前、突然にしてあっけなく、病身の老いた父をのこして逝った。

 父は六十代なかばで脳梗塞を患ったが、病床から抜け出ては、自由のきかぬ身体であっても、母の手を借りながら布教を続けていた。しかし、寺の跡を任すはずの長男が事故で急逝。幼年の孫をいくら気遣っても、わが子のようにはいかないことも自身は承知していた。加えて母の亡き後の七年間は、いよいよ落胆の姿は明らかで、強気に振る舞うことでも隠せなかった。

 自分の意志にかなわぬ手足を見つめる父の目は、それを透かして法話のなかに時を過ごしているかのようだった。静かにお念仏のなかにいるような時間が過ぎた。そばにいる時、過ぎ去った時を繰り言として懐かしむ姿も、老いも、病の身も…私にはその姿が尊く得難いことと受けとめることができた。

 酸素マスクのせいか、ほとんど無口になったある日、少し身体を起こして書くものをくれとそぶりで言う。何か欲しいものでもあるのかと思いつつ、筆ペンと紙をわたした。

「あ・り・が・と・う」

え、そんな。幾度か聞き直しても「OK」のしぐさを繰り返すばかりだった。聞き終えた途端、そんな、ちょっと待って、映画か小説なら前振りの受けとめる用意があって…。突然すぎる。その二日後、息を引き取った。生涯の最後に残した言葉であった。

 父がお浄土に在り、母も長兄も次兄も。

 お念仏申す。

 私は今ここに在り、時空を超えて遠くに向かい、父母たちもまた、時空を超えてここに来る。                                       本願寺新報より

 

秋彼岸法要

 9月21日(土)より9月23日(月)

 讃仏講師 龍谷大学文学部教授

  藤澤 信照先生

 

―藤澤先生のことば―

 ずいぶん前のことですが、ご門徒さんから、「お釈迦さまって偉いですね」と話かけられたことがありました。突然のことだったので、「どうしてそう思われたのですか」と聞き返すと、笑みを浮かべながら「お釈迦さまは、この世にお慈悲を発見された人ですよね。お慈悲がなかったら、この世は暗闇じゃないですか」と答えられたのです。私は「そうですね」と相づちを打ちながら、心の中でその方に手を合わせていました。私は、最近になってそのときのことを思い出し、現代の日本のように物質的に恵まれた時代だからこそ、お釈迦さま誕生の意義をあらためて問い直さなければならない、と思うようになりました。

 たとえば、天上界の一つに、他人に欲望の境地を造りださせて自在にそれを楽しむことができる、「他化自在天」と呼ばれる世界があります。そこには「破旬」という魔王が住んでいます。常に多くの仲間をひきいて、人間界において仏道の妨げをすると言われています。

 自分の欲望を満たすため、または腹立ちを解消するために、簡単に他人を傷つけたり、いのちを奪ったり…。「お金さえあれば何でもできる」「お金は人の心だって買える」「お金儲けをして何が悪い」。そんな言葉が、堂々とテレビの画面から流れてくるとき、そこには魔王破旬にあやつられている人間の姿がかいま見えます。そして、「自分の思いがかなっていくだけの世界に本当の安らぎはないのだよ」という、お釈迦さまの教えが本当だったと知らされるのです。

          六道を超えて~本願寺の時間H18.8月放送より抜粋

 

報恩講法要

 11月10日(日)より11月13日(水)迄

 讃仏講師 西光寺住職(大阪)

  天岸 淨圓先生

 

 ―天岸先生のことば―

 私たちは生まれると必ず死にます。お浄土を持たない人というのは、その死が「不幸」で「かわいそう」なものとなります。ならば、それらの方の人生は、たとえどのような人生であり「可哀想」に終っていく人生でありましょう。

 「あなたを抱きとり仏にする」という仏さまの願いを聞く人には死という現実はあっても、その死が「出発点」という意味を持つのです。

 つまり命終えていくということが不幸なことでなくなり、生まれてきたことと、死なせていただくことの両方が尊いことになる。そしてそれによって初めて「いのち」が尊いものになる。     著書:浄土真宗の生き方-愚禿を名のった親鸞聖人(1260円)

 

《定例法座》毎月7日 昼1時半より

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