報恩講と龍谷会

2010年10月20日 21:43

親鸞聖人は七百数十年の昔、弘長二年(1262年)にお亡くなりになり、ご遺体は鳥辺野の南、延仁寺(大谷本廟の北側、御茶毘所のあたり)で、遺弟たちによって火葬に付され、三十日にご拾骨。その後、鳥辺野の北、大谷(現在の知恩院境内付近)に石碑を建て、そこにご遺骨を納めました。

聖人のご往生から十年後、文永九年(1272年)の冬、吉水の北の辺(現在の知恩院山門の北)に廟堂が建ち、聖人のお身代わりであるお木像が安置され、これが今日の御影堂ひいては本願寺の、そもそもの起源です。
聖人の曾孫・本願寺第三世覚如上人は、二十五歳の時、聖人の三十三回忌法要を廟堂でお勤め。聖人のお徳を讃えてご製作になった『報恩講式』という御文をお読みになり、これ以降、聖人のご命日には、お念仏もろともに、この『報恩講式』や蓮如上人以降は聖人ご製作の『正信偈』をも読誦することが、本願寺だけでなく各地の寺院でも、今日まで行われ、また、聖人の祥月の法要は特に『報恩講』と呼ばれて今に至っています。報恩講の『講』とは講義のことで、この際にこそ念仏者たちが集まって聖人のご高徳を偲び、お念仏の味わいを一層深め、聖人のご恩にお報いする機会にしようとの意味がふくまれています。

本願寺で新暦によって一月九日より十六日までおつとまりになる御小忌報恩講とは別に、大谷本廟では、毎年十月十五・十六日の両日、報恩講をお勤めし、この法要を龍谷会と呼んでいます。

「大谷」を一字で表すと「豅」という字になり、これを分解すると龍谷になるので、この地を龍谷山と称し、現に大谷本廟の仏殿には、本願寺第十四世寂如上人御筆の『龍谷山』の額が掲げられています。
龍谷会の当日は、仏殿のわきの読経所から、祖壇の拝堂である明著堂まで、奏楽の音とともに厳粛で華麗な庭儀(おねり)が、ご門主さま以下、大勢の僧侶などによって繰り広げられ、十六日には『報恩講式』がご門主さまによって読誦されます。

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