令和2年(2020年)御法座のご案内
2019年12月16日 13:39
春彼岸法要
3月19日(木)より3月21日(土)迄
讃仏講師 本願寺伝道院布教指導員(姫路)
福岡 智哉先生
永代経法要
5月20日(水)より5月22日(金)迄
讃仏講師 妙蓮寺住職(大分)
蓮谷 啓介先生
~蓮谷先生のお言葉~
「ほんとうに幸せな人生」-どうしても伝えておきたかった手紙-
ご門徒の光子さんという方が体調を崩され、病院へ入院される際に、妹さんへ次のような手紙を託されました。
「みなさま、長い間大変お世話になりました。言葉が出なくなった時のために、お礼を申させていただきます。
長い人生、いろいろありましたが、お念仏にあわせてもらい、親さまに生かされて、ほんとうに幸せな人生でした。家族のみんな、親族の方々をはじめ、お友達のみなさま、今日の日まで、このような私をかわいがり、おつき合いしていただいて、ほんとうに有り難うございました。みなさまのご健康とご多幸を念じて、お礼の言葉とします。 合掌」
この手紙は、光子さんのお通夜の時に披露され、今もご自宅のお仏壇の前に大切に置かれています。
これは手紙ですから、文字で書かれたものです。しかし、「言葉が出なくなった時のために…」と書き始められたこのお手紙の一字一字は、光子さんの「声」でもありました。
いったいどのような思いでこのお手紙を書かれたのか。それは私の想像が及ぶところではありません。しかし、91歳の光子さんが、「長い人生、いろいろありましたが…」と述べられるところに深い重みを感じます。
また、阿弥陀さまのことを「親さまに生かされて…」と仰いでおられるところに、その人生を貫いていたのは、阿弥陀さまの力強さとぬくもりであったことが知られます。
光子さんは3歳の時に親戚に養女として出され、それから戦前、戦中、戦後を生きられました。その間、数々の苦労があり、誰にも代わってもらえない、時には誰にも語れない悲しみや寂しさがあったはずです。
しかし、歳を重ねられ、いよいよ力なくして言葉も出なくなる前に、家族や親族や友人にどうしても伝えておきたかったその一声とは、お念仏に出遇い、阿弥陀さまに出逢えたことが、人生において本当の幸せであったということでした。
そして、頂いた多くのご縁にお礼を申されることでした。光子さんは、そんな思いのありだけをご自身の「声」として遺されたのでした。
「声」は、例えば「読者の声」というように、心のうちを相手に届けるという時に用います。また、「春の声」というように、季節の訪れが知られる時にも使います。それは、「声」には目には見えない心や存在を相手に告げる力があるからです。
親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまの「お喚び声」ですと教えてくださいました。そのところに、「告(つぐる)なり、述(のぶる)なり、人(ひと)の意(こころ)を宣述(せんじゅつ)するなり」(注釈版聖典170ページ)とお示しです。
「人の意」とは阿弥陀さまのお心のことで、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまが私たちに向って、「まかせよ、必ず救う」というお心を告げてくださる声であるとの意味です。つまり、阿弥陀さまは私たちを思うお心のありだけを南無阿弥陀仏の名号に仕上げて至り届き、私たちのお念仏となってあらわれ出て、「ここにいるよ、独りじゃないぞ」と、ご自身の存在とお救いを告げてくださるのでした。
今日、私たちの手元には、お釈迦さまや七高僧、そして親鸞聖人が文字であらわされたお聖教が数多く伝え遺されてあります。それらお聖教の言葉や表され方はさまざまですが、そこに貫かれてあるのは私たち一人ひとりのお救い、すなわち阿弥陀さまのお心がよび声となった「南無阿弥陀仏」一つでありました。
そうすると、すべてのお聖教は阿弥陀さまの声であり、私たちへ宛てられたお手紙ともいえます。日頃、私たちが声に出しておつとめしているお経の一文字一文字は、そのままが阿弥陀さまのお心を一声一声聞かせていただいていることなのでした。
そこには、たとえどんな人生を送ろうとも、決して孤独はありません。阿弥陀さまは、うれしい時も悲しい時も、お念仏の声となり、おつとめの声をうながして、独りじゃないことを心いっぱいに知らせてくださいます。そして、たとえいつどこでどのように命終えようとも、必ずお浄土に生まれさせ、仏さまにしてくださいます。
そんな人生の最後に「有難うございました」とお礼が言える。それを「ほんとうに幸せな人生」というのでした。
―本願寺新報より抜粋―
お盆法要
8月3日(月)より8月5日(水)迄
讃仏講師 元鎮西敬愛高校校長(山口)
香川 孝志先生
秋彼岸法要
9月22日(火)より9月24日(木)迄
讃仏講師 西法寺住職(大阪)
園淵 和貴先生
伝道院布教過程元指導員。
全国でも大活躍中の本願寺派布教使。柔和な語り口で阿弥陀さまのお慈悲を語ってくださいます。笑いあり涙ありの法話の魔術師。今まで浄土真宗のお話がピンとこなかった人もいつの間にか阿弥陀さまのとりこに!最後は心の奥がじんわり熱くなるお話をしてくださる、新進気鋭の先生です。
報恩講法要
11月10日(火)より11月13日(金)迄
讃仏講師 本願寺伝道院布教指導員
福岡 智哉先生
讃仏講師 西光寺住職(大阪)
天岸 浄圓先生
―天岸先生のお言葉―
真実の宝①~三宝帰依~
今日はまず「法名」ついてお話ししたいと思います。「法名」といいますと、最近では浄土真宗以外の宗旨の「戒名」などと混同されているようですし、また近ごろは、人が亡くなった時におくる、死者への名前のように思われている風潮があります。
けれども「法名」は、仏さまの教えに帰依して、その教えを自らの価値観の中心にして生きることを、仏祖に誓った人に与えられる、仏教者としての自覚に基づいた、責任のある「名のり」なのです。
また、他の宗旨の方たちが用いておられる「戒名」も、お釈迦さまが「この生き方こそが、人が最も安らかに生きることのできる道である」と、定めて下さった「戒め」を受けて、この「戒め」を守って生き抜きますと、誓った人がいただく「名前」です。いずれも、一人ひとりの生き方、つまり人生の価値観に関わる大変重要で、意義深い「名前」であり、「名のり」なのです。
浄土真宗の私たちは、本願寺の親鸞聖人の前で「生涯、親鸞聖人が伝えてくださった阿弥陀さまのご本願を依りどころとして生きてゆきます」と誓い、ご門主さまから「おかみそり」をいただいて、「法名」を頂戴します。
古くは「おかみそり」とも呼びならわしていましたが、正しくは「帰敬式」といいます。
ですから、「法名」を亡くなった後におくるということは、「法名」本来の意味を失った、形式だけのことになるといわねばなりません。
ただ、存命中に「帰敬式」をうける機会に恵まれなかった方に、亡くなられたときにご縁のあったお寺の住職が「法名」をおくることが、例外としてみとめられていたのです。それが、いつの間にか当然のように思われ、今日の状況を招くことになってしまったのです。
さて、仏教では、古来、入信を希望する人に、「南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧」と「三帰依」を唱えることを、その儀式としてきました。
そこで、本願寺でも「帰敬式」、「おかみそり」には、先の「三帰依」の文を唱えて、ご門主さまより「おかみそり」をいただきます。
「三帰依」とは、「仏法僧」を依りどころとして生きてゆくことを、仏前に誓うことばです。「南無帰依仏」~私は、真実をさとられた仏さまを、この世で最も尊いお方と敬って生きてゆきます。「南無帰依法」~私は、その仏さまが、人びとに真に安らかな生き方を説き示された、み教えにしたがって生きてゆきます。「南無帰依僧」~僧に帰依するとは、「僧」とは坊さん個人という意味ではなく、仏さまの教えを実践する人びとの和やかな集い「僧伽」を意味してます。そこで「南無帰依僧」とは、わたしは、その教えがまことであることを、自らの人生で証明しようと努力される人びとを敬い、また、自分自身も自らの人生をもって、教えのまことを証明してゆきます。と、誓った人こそ仏教者というべきです。ですから、お釈迦さまの弟子として「釈某(なにがし)」と「法名」を名のることができるのです。そこには、出身や性別などの制限は一切ありません。
仏さまを敬い、その教えに依り、教えの真実を、自らの生涯をもって証明しようとする生き方は、いいかえると、無批判に自身をおごり、果てしない我欲の満足に生きないということです。ことばでは簡単ですが、我欲中心に生きないということは、大変なことです。なぜなら、私たちは「我がまま」という、大変傲慢な体質を持っているからです。だから、実際にはなかなか難しいことです。現実には、教えを自分の都合の良い曲げてしまうこともあります。
古来、この「仏法僧」を「三宝」、三つの宝と言ってきました。この「仏法僧」を「宝もの」として生きる人こそ、仏教者であるというのです。
また、「宝もの」とは、それを恵まれた人が、それを恵まれたからこそ、ほんとうに豊かで、安らかで、争うことなく、裏切られることなく、ねたむことなく、憎しむこともなく、真に幸せを感受することができるようにならしめてくれるもののことをいいます。
それがために、常に争い、奪い、奪われ、憎み、憎まれ、決して安らぐことなく、ついに満たされることがなければ、それは、本当の「宝」ではなかったのです。「宝」ではないものを「宝」と誤解し、本当の「宝」を見損なっている姿といえましょう。
あなたは今、何を「宝」とされていますか。
-週刊 みんなの法話より抜粋-
《定例法要》毎月7日 昼1時半より